来年のドラフトは中川!?


日刊スポーツ2007/11/21より 08ドラフト候補選手

 カテゴリ「その他」に書くべきだっただろうか。
 ニッカンスポーツの11月20日付に、はやくも「2008年度のドラフト候補選手」なるものが載っていた。
気が早いと感じるこの記事にだが、野球ボール・コムとしては見過ごせなかった。外野手のところに中川大志選手の名前があるのだ。


中川大志選手 と言われて分からない人でも
名字の「中川」+学校名の「桜丘(高校)」と聞いてピンと来た人がいるだろう。ピンと来たとすれば、桜丘高校の生徒・OBか、愛知県の高校野球を好きな人間ではないだろうか。
ピンと来たが、何だったか思い出せない人は 頑張って思い出してほしい。
去年、この地域のスポーツ欄か地方欄で小さく話題になったあの家族だ。
2006年夏。
勇退を決めていた桜丘高校の中川明智監督。
打順1番目には、息子の中川将大(当時3年生)。
そして 当時1年生、それも夏の大会にも関わらず4番に座っていたのが、中川大志(当時1年生)だった。
そう、中川監督の息子、そして中川将大の弟。それが中川大志選手なのだ。
監督も 野球に対して熱い人(後述)だっただけに、彼には頑張っていただきたいです。
(文中にも記載しましたが、中川明智監督は、昨年 桜丘高等学校野球部の監督を勇退されています。しかし、本記事においては、元監督ではなく、監督に統一して記載させていただきました。)



頑張ってきた自分に誇りと自信を持ってほしい。もし選ばれなかったことを笑うやつがいたらおれが絶対許さない
中川監督が昨年、ベンチ入りできなかった選手に言った言葉だ。
なぜ監督が、この言葉を言ったのか、監督が成章高校の主将だった時の悔しい記憶があるからだ。

 高校3年の夏。ゲームは追いつ追われつの接戦。三塁上からみた監督のサインは、「スクイズ」のはずだった。1ストライク1ボールからの3球目。三塁をけった。だが打者は動かなかった。捕手が立ち上がるのがみえた。
 挟まれ、三塁に戻ろうとした。前日までの雨でぬかるんだグラウンドで頭から滑り込み、顔まで泥だらけになった。
 力の抜けた体をやっと起こすと、沸き上がる相手校の応援スタンドから笑い声が聞こえた。
 「あーあ、汚っねぇ」
 悔しくて涙が出た。努力が否定された気がした。
 「高校野球の指導者になって甲子園を目指す。頑張る人を笑ったりしない人間を育てて見返してやる」。後続が倒れて負けた瞬間、そう決めた。
 進路希望を、社会人野球から大学進学に変更。中京大で保健体育の教員資格を取った。
 17年間に甲子園出場は果たせなかった。ベストは愛知大会8強。だが生徒を育て、送り出したと自負する。
 「和」を無視したり、後輩に高圧的な態度を取ったりする選手は、うまくてもレギュラーを外した。先輩は模範であるべきだと、グラウンド整備や道具の管理は3年生が中心。テスト結果の悪い部員がいた学年全体を、練習に参加させなかったこともある。
 迷いはずっとある。方針になじめず退部した部員もいる。「勝つ」ことが目標の生徒の可能性を、自分が摘みとったのでは――。

2008年度のドラフト候補選手の記事:ニッカンスポーツの11月20日付
後半の記事:asahi.com

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